「小さな楽園」 BY京香


「ん……」
急速に意識が浮上するのを感じながら、高耶はぼんやりと瞳を開いた。いつの間にか、眠ってしまったらしい。この心地よい振動のせいか、それとも車内に流れる穏やかな気のせいか。とにかくも、眠ってしまった自分を恥じるように起きあがった高耶は、まばゆい光に射ぬかれてとっさに目をつむっていた。
「いた…っ!」
目に僅かな痛みを覚えて顔に手をやった高耶に、それを見た直江がクスッと笑った。
「大丈夫ですか? 高耶さん」
「う…。やっちまった。てか、もうこんな所まで来てたんだな」
おずおずと開いた瞳に映ったのは、どこまでも続く雪の平原だった。しばらく眠っていた間に、どうやら長野入りしたらしい。当初に見ていた寂しい街並みはそこにはなく、白く雪化粧した大海原が視界いっぱいに広がっていた。
「思ったより道が空いていたので、早く着いたようです。それにしても凄い雪ですねぇ。さすがの私でも、運転するのが怖いですよ」
目の前に広がる道は、走行した車によって既に踏み固められている。ここら辺まで来る物好きは少ないらしく、その厚みはなかなかのものだった。昼だからまだいいようなものの、もうしばらくもすれば完全に凍結してしまうだろう。そうなると運転するのは至難の技だ。しかし高耶は、
「まだ大丈夫だって。ほら、溶けてるだろ?」
そう、こともなげに言う。確かに高耶の言うとおり表面は溶けているのだが、そのせいでデコボコになった道は走りづらかった。育った環境が違うせいだろうか。高耶と直江とでは、物の捉え方に若干ズレがあるようだ。思わず顔をしかめる直江に、今度は高耶が笑った。
「そんな顔すんなって。あと少しだから。―――頼む」
「…わかりました」
直江は諦めたように、苦笑した。


ガクガクと激しく揺れるウィンダムは、やがて小高い丘の上で止まった。よくここまで来れたものだ、とまずは誉めるべきであろう。
すっかり体力を使い果たした男は、疲れた顔をして車を降りた。吹きすさぶ風が、頬に冷たい。思わず体を縮こまらせると、次いで降りてきた高耶も寒そうに背中を丸めた。
「…ここですか?」
直江が問いかけると、高耶はあぁ、と肯いた。そのまま膝上まである雪に頓着することなく、前へと歩き出す。
「高耶さん、気を付けて」
「大丈夫だ」
お前も来いよ、そう言われて直江も高耶の後に続いた。
雪は深かった。ろくな防寒具を身に付けていない二人にとって、それは過酷なものであった。けれど高耶が進む限り、直江もその足を止めようとはしない。
高耶の白い背中は、見ていると雪と同化してしまいそうだった。そのまま消えて無くなりそうで、怖くなって手を伸ばしたところで高耶がふいに歩みを止めた。
「高耶さん?」
「―――見ろ。綺麗だろ?」
促されて、立ち止まった高耶の後ろから身を乗りだした男は、前方に広がる光景に息を呑んだ。
「……!」
なんて、なんて美しいのだろう。そこは、雪に埋もれた楽園だった。
眼下に広がるのは、どこかの街並みだった。今は、純白のベールに包まれキラキラと光り輝いている。雪が深いせいで、詳しい様子を見て取ることは出来ない。が、それがいっそう幻想的な演出を醸し出しているといってよかった。
淡い陽の光に照らし出された白い街は、まるで天国を見ているようだった。
言葉を無くして立ち尽くす男に、高耶はどこか遠くを懐かしむような目をした。
「ここに来るのは久しぶりだ。また、見られるなんて……」
そう呟くと、高耶は遠い昔に思いを馳せた。




高耶が前にここに来たのは、中学生の時だった。その頃の自分はまだ幼く、敵愾心を露わにしては、周囲に迷惑ばかりかけていた。
帰る場所なんて無かった。少なくとも自分はそう思っていた。
その日も、高耶は家を飛び出していた。荒れくれた父にどうにも我慢が出来ず、だからといって“仲間”の元へ行くのもウザったくて、盗んだバイクでめちゃくちゃにかっ飛ばした。何もかもがどうでも良くて、このまま死んでしまおうかとも思った。死ねば楽になれる。そう信じて。けれど、高耶は死ななかった。いや、死ねなかった。怖かった―――そうかもしれない。間際になって命が惜しくなった。そうだったかもしれない。その両方であったかもしれない。なんのかんのとご託を並べておいて、最後の最後で高耶は一線を越えることが出来なかったのだ。
そんな自分にまた失望して、流れに身を任せるままバイクを走らせた高耶は、気が付いたらここに来ていた。偶然だった。だから、どこをどう走らせたのかなんてわからないし、ここがどこなのかもわからなかった。
中学生の高耶はバイクを下りると、一人丘の上へと歩を進めた。遠くに見える、街の灯に導かれるように。
「わぁ……!」
そして、高耶は見た。下界に広がる光景を。
なんて、美しいのだろう。暗闇に浮かぶ、無数の街の灯は。まるで、そこに魂が宿っているかのようだった。ポウ、と浮かび上がるその美しい光景に、高耶はただ、言葉を無くして見入るばかりだった。
遠くで、車の走る音が聞こえる。電車が走り抜ける音も聞こえた。
街の光が優しい。点々と広がる街の灯が。
あのオレンジ色の街光がとても優しく見えるのは、あの下に暖かな家庭があるからだ。今日も愛に溢れた、自分には無縁の暖かな家庭が。そう思うと泣けてきた。
何をやっているのだろう、自分は。こんな淋しい場所で、ひとり孤独に震えて。
―――帰る場所がない。
そうだ、確かにそうだ。けれど、
(オレには守るべき妹がいる)
それで充分ではないか。何を嘆いていたのだろう。自分だけが不幸だと思っていたのか。他人と違うのが許せなかったのか。―――いいや、違う。そうじゃない。そうではなく、ただオレは……。
高耶は前髪を掴むと、固く目を瞑った。
(オレはただ、……逃げ出したかっただけじゃないのか?)
この世界から。
どうしようもない、自分から。
人がどうのこうのなんて、本当はどうでもいいんだ。自分だ。自分の心の持ちようなんだ。それを人のせいにして、ああだこうだと言う自分は何なのか。人のせいにすれば、楽になれると思っていたのか。それが自分の首を絞めると知っていて?
愚かすぎて反吐が出る。結局は、自分のひ弱さが招いたことだったのではないか。
(愚かな……)
なんて、心の弱い人間なんだ。こんな人間、誰も必要となんてしてくれやしない。自分だったら、即見捨ててる。
「フフ、フハハハ……」
情けなくて嗤えた。滑稽さに嗤った。
なんて、ちっぽけなんだ。
自分を取り巻く世界が全てと思っていた自分が、恥ずかしい。
嗤え。嗤うがいい。
愚かなオレを。
嗤って、オレを打擲してくれ!
顔を覆って、その場にくずおれる。
冷えた寒空に、高耶の狂った嗤い声だけがいつまでもこだましていた。

それからしばらくして、ここがどこだったのかを知った。自宅からはかなり遠かった。だからここを訪れたのは、後にも先にもこの一度だけであった。
偶然とはいえ、あの場所にたどり着けたのは高耶にとってプラスになったようだ。何かの拍子に脳裏に浮かぶその情景は、あの時の自分を思い出させ、そして時には寂しい心を慰めてくれた。
本当に美しい光景というのは、癒す力があるらしい。あの光景を思い出すだけで、ひどく安らぐことが出来る自分を、高耶は知った。




「本当に、綺麗ですね。心が洗われるようだ」
「!」
突然耳に入ってきた直江の声に、高耶はふと我に返った。いけない。つい物思いに耽ってしまった。なんとなくバツが悪くて伺うように直江を見ると、傍らに立つ男は素直に感動しているらしかった。瞬きを忘れたかのように、じっと眼下を見下ろしている。そんな男の横顔を静かに見ていた高耶は、やがてポツリと、言葉を漏らした。
何故だか、とても素直になれそうな気がした。
「お前と……」
「え?」
「お前と、見てみたかったんだ、……この光景を。ずっと」#
直江が振り向いた。その顔が真顔なのに気が付いて、急に高耶は恥ずかしくなった。慌ててそっぽを向いた高耶だったが、その耳が赤くなっているのを直江は見逃さない。
「……嬉しいです、高耶さん」
傍によって囁くと、赤い顔をした高耶が上目遣い睨んできた。余計なことを言った、という顔をしている。そんな高耶に、直江は口元を綻ばせた。
高耶が長野に行くと聞いた時は、てっきり自宅に帰るものとばかり思っていた。時期的にも、里帰りと考えておかしくなかった。しかし、それにしては自分をも誘うのがわからなかった。いつもだったら、高耶は一人で帰るからだ。行ってすぐ戻ってくる。それが高耶の常だった。
訳がわからず、それでも高耶に付き合って来てみれば、高耶が示したのは自宅への道ではなく……。まさか、こんな素晴らしい所に案内してくれるとは思っていなかった。そしてそこが、直江の知り得なかった高耶の想い出の場所というのが、直江にはたまらなく嬉しかった。
そして、今の言葉。
嬉しくてますます口元を緩めると、何かを勘違いしたらしい高耶がいきなり直江を突き飛ばしてきた。
「あ…っ!」
バランスを崩した男は、その場に尻餅をついた。足が雪に埋もれていたせいで、態勢を直すことが出来なかったのだろう。そんなに力を入れてなかった高耶は、目の前で起こったハプニングに目をパチクリとさせた。一方直江も、突然のことに茫然としている。無様に転んだ自分が信じられないのだろう。動きを忘れたかのように蹲ったままの直江に、高耶はプッと吹きだした。
「……ひどいです。高耶さん」
雪にまみれた直江は恨めしげだ。冷たい雪に顔を顰めつつ、なんとか立ち上ろうと試みるが、今度は突然高耶が覆い被さってきたものだからたまらない。
直江は再び雪の中へと沈んだ。
「……っ! たか…、高耶さんっ、何して……っ!」
思わず呼んだ高耶の名は、彼の唇によって奪われた。突然のことに目を見開いた直江だったが、高耶にのし掛かられるまま、その背を雪の絨毯に倒していた。
くちづけは熱かった。
周りの雪が溶けてしまうほどに。
いつになく積極的な高耶に応え、直江も高耶の口内を思うさま蹂躙した。
意外な激しさが生まれた。夢中で熱い舌を吸ってやると、高耶が切なげに眉を寄せた。その表情に煽られてますます深く舌を差し込むと、高耶の手が苦しそうに背に回された。
「……変だな。あったかい」
くちづけを解いた途端、高耶が直江の首筋に顔を埋めてきた。まるで、直江の匂いを確かめるように。そんな高耶に、直江は小さく微笑した。
「雪は、温かいんですよ」
濡れた髪をすきながら囁くと、高耶はあぁ、と小さく肯いた。
「そうだな。…あったかいよ。なおえ」
雪が冷たいだなんて、嘘だ。だってほら、こんなにも温かい。
羽毛に包まれているかのようだった。優しくて、柔らかくて、温かくて……。
とても、幸せだった。今、ここに、直江と共に在ることが。
全てが愛おしくて、そして幸せだった。
顔を上げると、優しい瞳をした直江と出会った。まるで、自分を慈しむかのような目をした…。
高耶は微笑んだ。
白い、世界の真ん中で。

このまま、共に溶けてしまえたら―――。



高耶は祈るように、瞳を閉じた。

fin.


あまあまvvご本人はすごいシリアスだ。とか言ってましたけど、あまあまですよvvしかも高耶さんが直江、襲ってる〜☆個人的に襲い受け、結構好きvvv同志求むv(笑)
京香さん、ありがとうでした☆
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