「暮色の想いに身を委ね」 BY京香


夕方になって、除々に公道が混み始めてきた。
休日の日暮れは何かと忙しない。
我先にと急ぐ車に何度か割り込まれたが、渋滞した分運転に余裕が出来た。そこ
で直江は隣にいる気配を静かに楽しんでいたのだが、ここにきて僅かながら不快
を感じていた。
(高耶さん……)
前方を見る目に、剣呑な色が帯び始める。
ステアリングを握る手に力が籠もった。
チラ、と横目で高耶を見やれば、高耶はとても優しい眼差しをしている。
(あぁ、高耶さん。そんな顔をして)
直江は明らかに嫉妬していた。
子供じみているとは思っている。
けれど、この思いは止められない。
「高耶さん。高耶さん」
邪魔をするように名を呼んでみる。
高耶は一瞬の間の後、「あ?」と顔を向けてきた。
……高耶さん、その反応はあんまりだ。
そんな直江の声に気がつかない高耶は、深く助手席に凭れると億劫そうに話しか
けてきた。
「んだよ。直江」
あまつさえ大きなあくびをする高耶に口の端がピクリとひきつったが、運転して
いる手前どうすることも出来ず、直江はその態度を許容した。
「いえ。特に用はないのですが…」
「はぁ? んだよ、それ。用ねぇんなら呼ぶなよ」
「用がなければ呼んではいけませんか?」
あまりにもあまりな態度にマジと切り返してきた直江に、高耶は一瞬キョトンと
したが、次いでふてくされたように目を逸らすと、
「んなこと、ねーけど、………困んだろ」
そう言って本当に困った顔になって、そっぽを向いてしまった高耶に直江は思わ
ず笑みをこぼした。
照れている。
そんな高耶が可愛くて愛しくて、直江は先ほどまでの不穏な感情を追い払った。
そう。自分の前での高耶はこうでなくては。
高耶がこうも「素」の自分を見せるのは直江にだけだ。
それがわかっているから、その優越感だけで俺はあなたを独り占めしていると思
える。
なのに、馬鹿だな…。
あれしきの事で嫉妬するなんて。
けれど、あなたがたまにしか見せない優しい顔は、俺だけであって欲しいと思う
この想いは、もはやどうする事も出来ない。それだけこの隣にいる青年が愛しか
った。
(高耶さん…。本当にあなたが好きなんです)
こみ上げてきた感情を噛みしめた時だった。
「あっ!」
「!」
高耶が突然大きな声を上げた。
何事かと振り向いた先で高耶は落胆の声を上げた。
「あ〜ぁ」
「……行ってしまいますね」
気がついて慰めるように言うと、高耶は不満そうに唇を尖らせた。
「可愛かったのに」
「…仕方ありませんよ」
「なんで追いかけねーんだよ」
「そんな無茶な…」
「チェッ!」
高耶はプゥと膨れると、拗ねた子供のように蹲ってしまった。
それに困った顔をした直江は、ゆるやかに減速すると左手を伸ばして高耶の髪に
触れた。
「高耶さん……」
前方に気を使いながら何度か髪を掬ってやったのだが、頑なな高耶にやがてその
手を離した。
かける言葉が見つからない。だから、せめてもの思いで慰めてみたのだが。
(そんなに悲しかったのだろうか)
嫉妬以前の問題だった。
私では駄目なのだろうか。
私では、あなたの心の奥深くまで入り込むことは出来ないのだろうか。
それは寂しさだった。
こんなにも近くにいるのに、心まで寄り添えられないのなら、自分はどうしたら
いいのだろうか。
あなたにもっと必要とされたいんだ。
あなたに強く求めてもらいたいんだ。
あなたに、……心から愛してもらいたいんだ。
(高耶さん……)
諦観に身を沈めようとした時だった。
高耶がふいにこちらを見ると、無言で直江の袖を引っ張った。
「?」
「…んで、手ぇ離すんだよ」
「え?」
「もっと、……ろよ」
そう言ってまたプイと横を向いてしまう高耶。
自分は好き勝手やってるくせに、直江の関心が離れていくのは許せないらしい。
まるで子猫のように我が侭な彼に、もはや苦笑しか浮かばない。
それでも、
(高耶が自分を必要としてくれたのが嬉しい)
もっと、私を求めて。
私がいなければ駄目なんだと、叫んで欲しい。
(高耶さん……)
直江はまた手を伸ばすと、今度は慈しみを込めてその髪を梳いた。とたんに漏れ
た満足そうな吐息に嬉しくなる。高耶はしばらくの間、直江の大きな手の感触を
味わっていたが、やがて楽な姿勢を探してモゾモゾと体を動かした。
もう暫くもすれば、彼に睡魔が訪れることだろう。
そんな日溜まりのような優しい場所(じかん)を与えられたことが嬉しくて、直
江は小さく笑んだ。

(―――それにしても、)

まさか高耶がこれほどまでに動物に弱いとは。


もうだいぶ前に曲がってしまったのだが、実は直江の車の前を走っていた車に大
きな犬が乗っていたのだ。逆光のため犬種まではわからなかったが、ゴールデン
レトリバーに似た犬だった。
なぜか後ろ(直江の車に向かって)ばかり向いていた犬に、高耶はすっかり絆さ
れてしまったようだった。彼が小動物や子供に弱いことは知っていた。けれど、
自分といる時よりも優しい顔をしている高耶につい嫉妬してしまった。
思い返してみると、高耶は直江に対して優しい笑みというものを向けたことがな
いような気がする。彼は照れ屋だから、と直江も最初から諦めていた節があった。
だからつい嫉妬してしまったのだが、何をそうカリカリする必要があるのだろう
か。結局はこの人は俺のものではないか。だってほら、今はこんな安らいだ顔で
眠っている。こんな穏やかな一時を与えられるのは自分だけなのだと、俺は胸を
張っていいのだ。
優しい顔も怒った顔も、拗ねた顔も悲しい顔も、全部見ることが出来るのはこの
俺だけ。
そう思ってもいいんでしょう? 高耶さん。

赤信号になった際に耳の後ろを擽ると、高耶は小さな声を漏らしてむずがった。
我が家までもう少し。
焼き切れそうな理性と戦いながら、直江はアクセルを踏み込んだ。
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