「甘い生活……」 BYしろわにさん


駅の前のケーキ屋は、黒山の人だかりだった。直江はそれを見て、思わず顔を
顰めた。
もうじき、バレンタインである。製菓会社の陰謀だろうとなんだろうと、世の恋人
たちにとっては大事なイベントの一つに数えられるだろうその日だが。
直江は、苦悩していた。
最愛の人、高耶さんは、甘いものがそれはもう大好きらしいのだ。しかしながら、
直江は甘いものが得意ではなかった、というより、食べられなかった。直江とて
贈り物の一つや二つ、いや、それどころでないほど多くのものをもらったりしていた
が、かつて付き合った相手はみないわゆる「大人の女性」。直江がチョコレートを
喜ばないことを知っている彼女達から贈られるのは、決してお菓子ではなかった。
だが。今年のバレンタインは、高耶さんから「お菓子以外は禁止!」と宣言されて
しまったのだ。原因は去年の直江の贈り物があまりに高価だったためなのだが。
さらに言うならば、高耶さんはけっしてバレンタインには贈り物をくれなかった。
高耶さんの中ではバレンタイン=貰うもの、と決まっているらしいのだ。まあ、当日
の夜にはお返しとして情熱的な一夜を過ごし、ホワイトデーには有名な菓子屋の
マシュマロを貰ったのだが、直江としてはすこし淋しいものがあった。
まあ、それはともかく。
今現在、直江を悩ませているのは、プレゼントが決まらない、ということであった。
どちらかといえば舌が肥えている直江だったが、甘いものは味見をしても、甘い!
という感想しか出せないのだ。だが、高耶さんのほうはケーキを一口食べて、「これ
はどこそこの誰々が作った何々だ!」と言い当てるお方である。そんな方に、味
もわからない物を差し上げることが出来ようか。
ハズレのないブランド物でお茶を濁すしかない、とは覚悟を決めたのだが……。

「直江、悪い。13日なんだけど、オレ、ちょっと用事ができちゃってさ」
高耶さんが言い出したのは、10日の夜、夕食の最中だった。高耶さんお手製の具
沢山のがんもどきを思わず直江は箸から取り落とすところだった。
「え?そんな、夜までですか。私も早く帰れるように調整したんですよ?!」
「本当にゴメン。でもさー、どうしてもって頼まれちゃってさ。もちろん、土日は大丈
夫だからさ。どうせ早く帰れるって言ったって、7時は過ぎるんだろ?」
そう、あいにくと13日は実家の都合で夕方から出かける羽目になってしまったの
だ。
「用事って、なんですか」
「ん〜。実は、中学の同級生でさ、すっごく菓子作りのうまいヤツがいてさ。ソイ
ツが、今回はザッハトルテ作るんだって」
直江にはザッハトルテなるものがなんなのか皆目見当がつかない。
「で、初めてだから、オレに味見して欲しいって。なにせオレは黄金の舌の持ち主
だからさ」
……黄金の舌……とまで言われ、直江は思わず肩を落とした。
「どなたなんですか?……ま、まさか、女の人……」
「バレンタインでチョコレートケーキを作る男は菓子職人だけだと思うぞ」
「!!!!そ、その人は、その、高耶さんのことを……」
「絶対なんとも思ってないって」
高耶さんは笑いながらそう言うが、直江は安心などできなかった。
「た、高耶さん〜」
しかしながら、そんな微妙な男心に高耶さんが気がついてくれるわけもない。
「楽しみだな〜、手作りのザッハトルテ」
妙に浮かれた顔で夕食の続きに戻る高耶さんとは対照的に、直江の思考はおも
ーく沈んでいった。



喫茶店、プロビデンス。全席禁煙、だがコーヒーと紅茶は極上のこの店で、直江は
下げたくない頭を下げていた。
「……それで、自分も手作りで対抗なの?あのねえ、あたしだってヒマじゃないの
よ。……それに、自分で言うのもナンだけど……アタシ、料理は誉められるのに、何
故かお菓子だけはマトモにできたためしがないのよ……」
直江が助けを求めたのは、友人の綾子だった。しかしながら、喫茶店でそれは見事
なコーヒーやら紅茶を淹れるくせに、何故かお菓子系だけは鬼門だと俯かれてしまっ
た。
「……ここで出しているケーキは、駅前のケーキ屋のだったな……」
「ああ、『アプサラス』の、だけど……ダメよ、言っとくけど、今はすんごく!忙しいんだ
から、あそこの千秋に迷惑をかけたり出来ないわよ」
直江は思わず天を仰いだ。
「なんの心配をしているのよ、直江。高耶が浮気なんかするわけないじゃないの
よ」
「……だが……そんなに素晴らしいケーキを作る女だったら、高耶さんを簡単に篭
絡できるかも知れないじゃないか。もしその女が同じ高校だったりしたら、今頃はそ
の女と……」
高耶さんは男子校に通っている。直江と暮らすようになる前は寮生活で、それを直
江はひどく心配していたものだったが、共学だったとしても直江の心配は晴れないこ
とが証明されたといえよう。
「あのねぇ。だったら、高耶の恋人の第一候補は、千秋になっちゃうわよ」
「!?」
ケーキ職人の名前を出されて、直江は真剣にぐるぐるしてしまった。だが、さすが
に虐めすぎたかと反省したらしい綾子は、腕組みをしてえらそうに頷いた。
「わかったわ、アタシも今年は慎太郎さんに手作りのチョコレートケーキを渡す!
決まったら、さっそく買出しよ!」
拳を握って、天を衝く綾子。直江もそれに続いたのだった。

「チョコを溶かして流し込むだけじゃ、あの高耶を唸らせるのは絶対にムリよね。
相手は、ザッハトルテなんでしょう?」
「そうだ、ザッハトルテって、なんだ?」
直江の疑問に、綾子はへなへなと力が抜けてしまったらしい。
「簡単にいえば、チョコレートケーキよ。そうだ!ねえ、デ○ルのザッハトルテ、
食べに行きましょう!敵を知り、己を知ればって言うじゃない」
正確にはデメ○のザッハトルテが敵ではないが、綾子は盛り上がったまま直江を引
き連れて車を出させた。
「さあ、いざ出陣よ!」
……結局、直江はその日、一日中ザッハトルテの甘さに苦しめられることになった
のだった……。

喫茶店には臨時休業の札がかけられている。いつもだったら、それなりに客が入っ
ているはずの昼どきだった。
「昨日は失敗だったわね、直江」
「……」
「やはり、敵が大きすぎたのよ。恐るべし、だわね。……でも!コレを見て、直江!」
「なんだ、コレは……俺には、魔法の呪文なみにわけがわからないぞ……」
綾子が突き出したのは、よくわからない言葉の羅列だった。
「何言ってるのよ、コレがザッハトルテのレシピじゃないのよ!アタシ、昨夜一生
懸命調べたんだからね!……でも、結論から言うと……ムリ」
「そうか、ムリか……」
「そもそもスポンジすら焼けないんだからさぁ、あたし達。簡単そうなのも見繕った
からさぁ、こちらをね……」
「はかって、混ぜるだけ、か。化学の実験と思えば、なんてことはないな。そもそ
もレシピというものは誰がやっても再現性がなくてはならないんだ!」
直江(職業・作家)が、理系のような言葉を口走りつつ綾子の持つレシピを掴んだ。
……その日の昼は、失敗したケーキだった……。


13日。高耶さんはいつものように学校へと行き、直江は最後の決戦のためにまた
綾子の喫茶店へと赴いた。
「直江〜。どうして膨らまないのかしら」
「お前、なぜ紅茶にはあれほど神経を使えるのに菓子には発揮されないんだ、それ
が……。大さじと小さじの違いもわからないのか!」
「だって〜」
「それにしても、コレは固い。スポンジとは柔らかいものではないのか」
「……うぅ……直江は作れたからってぇ……お願い、見捨てないでぇ〜」
直江はわりときっちりした性格ゆえか、きちんとはかってきちんと振るって、書か
れた注意を守って作ったので、すごくおいしいともいえないがとりあえずケーキ
の作成に成功した。……しかし、綾子は……。
「なんで膨らんだのに、冷ましているあいだにしぼんでいくの?」
「俺が知りたい……。お前、コレならどうだ。チョコビスケット三枚と生クリーム」
幼稚園児用らしきレシピを直江が探し出して綾子に渡した。
「ああ、ごめんなさい、慎太郎さん……アタシ、今年もダメだったわ……」
綾子に話を持ちかけたことを少し後悔しつつ、直江はようやく作成できたチョコ
レートパウンドケーキを丁寧に包んで喫茶店を辞したのだった。

実家での用事を終わらせて、直江は急いで帰途についた。高耶さんは9時前に
は帰るとは言っていたが、もしザッハトルテに幻惑されていたら……と思うと心配で
しかたがない。
9時にならないうちに家の前まで辿りついた直江は、部屋の灯りがついている
ことに安堵した。
あの灯りのなかで、高耶さんが待っていてくれている、と思うと、直江の足取
りも自然軽くなった。
直江が玄関を開ける前に、扉が開いた。高耶さんの笑顔。車の音で直江の帰宅
に気が付いたらしい高耶さんが出迎えてくれたのだ。
「お帰り、直江。疲れた?」
そう労うように微笑んでくれる高耶さんを、直江は思わず抱きしめた。
「遅くなってすみません、高耶さん」
「スミマセンより先に、言うせりふがあるだろ?」
高耶さんがいたずらっぽく笑う。
「……ただいま帰りました、高耶さん」
そう言って、直江は高耶さんの頬に軽く口付けた。
「夕飯、食べてきたのかな?」
「ええ、済ませてきました。高耶さんは?」
高耶さんはおかしそうに笑った。
「ムリヤリ食わされた。しかも『パンがないなら、お菓子を食べればいいじゃな
い〜』って、ケーキを……」
直江には聞くだけでも恐ろしい話だが、高耶さんは大丈夫らしい。
「でも、さすがだぜ、ザッハトルテ。大理石の板の上で、テンパリングだぞ。ショコ
ラーデングラズールって、素人が作れるもんだとは思わなかった。ホラ、おすそわ
け貰ってきたぞ。まあ、日持ちするらしいから、そのうち食おうぜ」
直江は思わず口元を抑える。
「申し訳ありませんが、私はそのザッハトルテだけは遠慮させていただきたいので
すが……」
デ○ルでもはやこれまでと思い知った直江が哀願すると、高耶さんはおかしそうに
笑った。
「そうだよな、直江には甘すぎるよな、アレ。……ふふ、そ〜んな直江の為に、
な」
高耶さんが含み笑いをする。
「とにかく、休もうぜ。風呂、沸かしてあるから入ってこいよ」
高耶さんの含みが気になりつつも、直江は促されるままに風呂を使った。
「高耶さん、出ましたよ。どうせなら一緒に入ってくだされば嬉しいのに……」
直江の後半の科白をあっさりと高耶さんは無視して、直江の方へとにこにこしなが
ら近寄ってきた。
「な〜お〜え〜。口、開けて」
言われるがままに、口をあける直江。そこに、高耶さんがぽいっとなにかを放り込
んだ。
口の中に、洋酒の香りとカカオの香りが広がった。
「これは……」
「ふふ、そのくらいなら直江でも大丈夫だろ?」
「ええ。……もしかして、高耶さんが?」
「喜べ。オレのお手製だ」
直江が思わず破顔すると、高耶さんはにっこりと微笑んだ。
「ソレ、もう一工夫あるから」
チョコレートを飲み込むと、思ってもいない刺激が走った。
「唐辛子を練りこんだんだ、ソレ。刺激的だろ?」
えへへ、といたずらそうに高耶さんが笑った。
「高耶さん……」
「こっちは、ジンジャーだから、いいだろ?」
高耶さんは今度は自分の口にチョコを入れて、直江に口付けした。
「……甘いですね、高耶さんの唇は。私でも、これだけはいくらでも食べられます
よ」
耳元で囁くと、高耶さんは赤くなった。

先に手作りのチョコを貰ってしまった直江だったが、次の日、悪戦苦闘の成果の
ケーキを渡すと、高耶さんはたいそう喜んでくれた。
味のほうは……料理は愛情、というところだったようだ。
ちなみに、ザッハトルテの本命は譲さんだそうだ。

うふふ、なんだか可愛らしいお話ですね(^^) 高耶さんの為に一生懸命ケーキを作ろうとする直江が健気
というか…。ねーさんもいい味出していました♪ 千秋がケーキ職人というのもピッタリですね!
後半で、甘える高耶さんも可愛かったです〜〜。いいなぁ、直江。ザッハトルテ、聞いたことあります、大分
前に;; す、すみません、管理人、直江の実家よりも北に住んでいるので、直江同様、ハイカラな話題に
はついていけないのです(笑)でも、とっても美味しいケーキらしいですね。
しろわにさん、あま〜いお話をありがとうございました!
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